批ギ いと/桐原/銀狼/今猿/黒川排除 (oldsoup)
 
というか介入してきている。それは平易さの強調にほかならない。途切れている言葉同士から何かを見いだすのではなくそこにあるものをそのままに受け入れる、かどうかは読者次第だが少なくとも王国はそういう物資を輸入したがっている。

 王国は鉛筆のようだ、とはさっき書いた。削れていってるからだ。しかるに鉛が入ってない。この詩のどこを見渡しても国民のいる様子がないのだ。鉛のない鉛筆などもはや鉛でも筆でもなくただの木の枝だ。紙に書きたいが枝しかないとすれば土に書けとでもいうのか? このようにことごとく失われていったものがこの王国ではまるで最初から無かったかのごとく扱われている。はじめてということはつまり、途中
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