詩的インプラント 〜 馬野幹氏に捧げる鼻歌 あるいは馬野幹宇宙人説 〜/大覚アキラ
のではなく、変貌してしまうこと自体が怖いのだ。
それと、恥ずかしさっていうのはですね、これがまた説明するのが難しい。見たこともないモノに変貌してしまった相手に対して自分はどう接するべきなのかわからない、そんな感覚だろうか。それがなぜ“恥ずかしさ”というものに繋がるのか、上手く説明できないのが悔しい。
鑑賞する対象として、もっと冷静に受け止めることができるものだったり、あるいは逆にもっと自分自身も熱狂し没入できるものであれば、きっとそんな恐怖や恥ずかしさは感じないのだと思う。それは、対象(この場合はオペラ歌手の二人)に問題があるのではなく、受け手であるぼくの予備知識やマインドセットの問題なん
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