生前と死後のあいだで/小林レント讃3/渡邉建志
 
こと誰でも知っていると怒る人もいるかもしれない。つまり、改行しつつ滝と滝壷のわざわざ定義を繰り返すのは、定義したいからではなく、改行に従ってゆっくりと読むに従って、読者に映像を喚起するためではないか、と言う気がする。そしてそれは魔術的に成功しているのである。
恐るべき魔術がまた次に待っている。

 秋になると
 恋人が
 大きな家族が
 子どもたちが

ここまで読むと、普通、彼らは楽しそうに滝までピクニックに来て、滝壷の近くでお弁当でもひろげるのだろうと思うだろう。しかし、彼らは、

 そこに
 消えていった

死ぬのである。驚きである。このピクニックから自殺を繋ぐ部分は
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