詩と“私”を切り離せ。/大覚アキラ
 
、どれだけ扇情的で性的な物語が描かれていても、どれだけ残酷で殺意と悪意に満ちた世界が描かれていても、どれだけ甘く生ぬるい夢のような純愛が描かれていても、そこにあるのはニュアンスやムードといった曖昧なイメージであるはずなのだ。でも、人はどうしてもより具体的な物語を求めたがる。

作者である詩人本人の背負っている背景やしがらみなど、作品の本質とは本来無関係であるべきだし、逆に作品からその作者の置かれている背景やら境遇やら、もっといえば思想や嗜好までを推し量るというのは、何とも言えない違和感を覚える。なぜならば、詩の向こう側にいるのは、作者である“私”そのものではないはずだからだ。“私”はフィルタ
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