詩と“私”を切り離せ。/大覚アキラ
 
私小説というものがほぼ死に絶え、小説はエンタテイメントとして書かれ・読まれ・消費されるものになって久しい。それに対して、詩というものは、未だに“私詩”とでも呼ぶべきものが大半を占めているように思える。それが好ましくない状況だとは決して思わない。本来的には、詩というものは多かれ少なかれ“私”的なものだとも思う。作者というフィルターを通過して詩の言葉に変換されているプロセスを考えれば、それは仕方がないことだろう。

ぼくが気に入らないと感じるのは、詩が“私”的であるがゆえに、詩に書き表されている内容をその作者自身に重ね合わせて読まれることが当たり前のようになっているということだ。たとえば、暴力的
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