咲子?/たま
 
神が妥当だといえるが、詩人といえども、そうかんたんに神の名を口にすることはできない。ただひたすら神に近づくために、無であることを追い求めるひと、それが詩人というものだろうか。

 わたしたちが生きて行くために無は必要としないだろう。むしろ無は邪魔になる。それであっても意識のなかに無を育てることが、神と対話することの唯一の手段であるとしたら、詩人の生き方は途方もなく深いことになるし、咲子と暮らすわたしにとってもけっしてひとごとではない。手を伸ばせば火傷するかもしれない無のなかから、いったい詩人はどのようにして、詩をかたちづくることばを編み出すことができるのだろうか。
 古代の森からやってきた初
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