咲子?/たま
 
作上の強引な発想とはおもえない。巫女が司る祭祀は、無のなかに神を求めるものであり、甲骨文字は無から生まれた神のお告げということ。さらに、巫女が原初の詩人であるとしたら、詩もまた、無から生まれことになる。

 たとえば、詩は独白であるというがわたしはそうとはおもわない。
詩もまた対話から生まれたものにちがいないはずで、問題はその相手はだれかということだろう。古代の巫女は神と対話したとして、現代の詩人はどうなのか。やはり神が相手だろうか。それとも、もうひとりの自分ということになるだろうか。それがもっとも現実的な話しだとはおもうが、もうひとりの自分の存在もたしかなことではない。そうなるとやはり神が
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