咲子?/たま
 
わかる。
 また、部首は漢字の顔を見分けるための、もっとも大切な部分であり、漢和辞典はその顔にたどり着くための、唯一の案内人であることをこの文章は暗示している。おそらく、この文章を見逃すと、漢字の生い立ちにともなう、性格とも素顔とでもいうべき本質を知ることは、かなりむずかしくなるだろうというおもいがする。

 その文章をここに引用させていただくが、目的はふたつあって、ひとつは、夢夢(ボウボウ)とした風景のなかの、一遍の詩であるかもしれないこの小説を読み解く、あなたの、聡明な机上を照らす灯りとして。
 もうひとつは、充電式のノートブックをひらいて、群青の闇に閉ざされた散文の海で漁をする、この
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