メモ2/由比良 倖
いうこと。古めかしい考え方かもしれないけど、知るとは感じることであり、血肉化することだ。抽象的な心が、抽象的な考えを内面化する、ということではない。身体とはまあ、デバイスであり、ただの道具かもしれない。でもそれは、僕にとって唯一のデバイスだ。代えは効かない。何故ならふつう、デバイスとは、この僕が使う、僕にとっては外部のものだけれど、僕にとっての身体というデバイスは、僕そのものであり、僕の内面そのものであるからだ。
僕の身体の「動き」は、僕を超えて拡がっていく。僕が「動き」を作り出すのではなく、今までの「動き」の総体が僕だからだ(「僕」「僕」「僕」「僕」と気が遠くなるほど連呼された「僕」の集
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