「通勤電車という、現代の“悪しき平等”の象徴の中で」/足立らどみ
 


どちらかが欠けても、言葉(=生)は死ぬ。
「たくさん書く」「たくさん働く」という量は、リズムや慣性を生みます。
けれど、そこに「考える」「磨く」という質が伴わなければ、ただの惰性で、意味のないノイズになる。

逆に、質だけを求めてしまうと、
「完璧主義」「思考の渦」にハマって、動けなくなる。
生きること・書くこと・働くことは、動いている身体があって初めて成立する。

だから、**「質と量を束ねる」というのは、“生きることを動的にチューニングすること”**なんです。
一方を捨てるのではなく、両方を「束ね続けること」が本質に近づく唯一の道。

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?労働の言葉で言うな
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