「文学極道」への弔辞(再校正済み編)/室町 礼
しょう。しかし
「海には人が」という選択のあとで「いつも溢れている」は
ただの説明です。説明文なんだからこれでいいといえばいいの
でしょう。しょせん自己の内面を吐露する日記であり「小説断
片」ですから選択と転換は必要ない。荒川洋治のように
書けなくなると逃げ込む場所です。
わたしの好みとして「海には人が」のあと「いつも死んでいる」
くらいの転換がほしい。この詩で「いつも死んでいる」が出て
は終わりですから、別のなにか気の効いた言葉がね。笑
この詩にはそんな選択や転換はもともと必要ないのですがね。
日記ですから。
青年の清冽な感情は陳述されているのだけど名指し出来えぬも
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