「思い出の渚」の冒頭歌詞を検証してみる「作詞家岩谷時子の発言を聞いて」/洗貝新
と思った。
岩谷時子は何故単純に、見つけた〜という表現ができない、しかもその表現を称賛したのだろうか。
きみを見つけた、が表現に浮かばないのならば、きみと出会った〜とでも表現するのだろうか? そう思って少し考えてみた。
見つけたと出会った、の違いなんてサングラスの色の濃さによる違いのようなものではないか。しかも、きみと出会ったこの渚に〜ちゃんと小節に歌えるのだ。
どうしてこのような細かいところに拘るのだろうか。
歌詞を読めばなんていうこともない。普通にある短いひと夏の経験で、若い恋人たちの出会いと別れという。悲恋話しを刹那に思い出として歌っているだけなのだ。それなのに、
いや、まて
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