『春と修羅』における喪失のドラマについて/岡部淳太郎
 
時間が経過している。その時間が賢治の中でのとしを幻想化させるのに役立ったと言って良いかもしれない。
 「オホーツク挽歌」五篇の中でなお注目すべきは「噴火湾(ノクターン)」と名づけられた一篇だろう。ここでの賢治はとしの死からかなりの時間が経ったこともあってか、その死を聖化や幻想化ということではなしに素直に受け止めている印象だ。悲しみはまだ去らないものの、聖化や幻想化といった作業をすることなしに妹の死そのものが身内に迫っている。北海道室蘭の噴火湾(内浦湾)沿いを列車で旅しながら妹のことを思い出しているのだが、「とし子がしづかにわらはうと/わたくしのかなしみにいぢけた感情は/どうしてもどこかにかくされ
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