『春と修羅』における喪失のドラマについて/岡部淳太郎
 
たつてゐた/どんなにわたくしがうらやましかつたらう」という気づきに至るのだ。更に「ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ/ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか/わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ/泣いてわたくしにさう言つてくれ」と言うのだが、ここでの賢治は死に行く妹が自らを「うらやましかつたらう」という思いから、妹に対して赦しを乞うているように見える。そこに妹への罪の意識があるだろうことは見やすい。
 また、作品「無声慟哭」では括弧書きで「(わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)」とあり、それがこの作品集のタイトル『春と修羅』と通底している。そんなところから見ても、この「無声慟哭
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