『でっぱり』について語る時に、私たちの語ること/作・ミセス・アーモンド・クレージー・アーホー/鏡文志
われているし、捉われることを宿命としながらも、それによって新しきを生み出す。
男は蜘蛛であり、女は蠅である。
世の中は蜘蛛の糸だらけで、本当の蜘蛛は他人の張り巡らせた蜘蛛の糸に捉われ、生きることを望まない。
大多数の女は他人の張り巡らせた蜘蛛の糸の中で楽しく生きる阿呆だが、本当はとても苦しんでいるとも言える。その呻きから赤子が生まれることを思えば、女が悲しい生き物であることは致し方なきことであろう。
男は女のために笑っていなければならないし、女は男のために苦しまなければいけない。
観察し、分析するのは鍵穴を開けるためである。
五は二足す三でもあるが、五は五引く一引く
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