『でっぱり』について語る時に、私たちの語ること/作・ミセス・アーモンド・クレージー・アーホー/鏡文志
引く一足す二でもある。
では、五の正体は? 無限にある。
しかし、五は二ではないし、五は三でもない。しかし、五が二になることはあるし、五が三になることもある。固定化された概念は一つの状態を表しているものであり、いつかはドロドロに溶けて、変化を続ける。
つまり概念に対し、固定化された答えを提示しても、それが永遠の答えになることはなく、問いだけは永遠に繰り返されるのではないだろうか?
すべての女が天然であるのは、欠落者だからである。
男は女が辿り着いた答え。そして男にとって女は、永遠のミステリアスなのだ。
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