生きるのって苦しいばかりなんだろうか?/由比良 倖
 
とを疑ってみようともしない。僕が中也を好きなのは、彼は「人生に、椅子を失くした(『港市の秋』)」人だからだ。好きと言うより同類というか、僕は僕の人生に自分の椅子があると感じたことが一度も無かった。いや、子供の頃は「子供」というポジションに案外すんなりと居座っていられたのかも。僕もまた、椅子を無くしたのだ。大人になれなかった。疑問を疑問とも思わずに、大人のあくまでルール上のゲームにすんなりと参加出来るのでなければ、本当、ひとりで書いてるか愚痴を言ってるか、死ぬしか、他に方法が無いんだよ。

 答えの無い疑問に答えられるのは、あるいは世界そのものに対して問いを発することが出来るのは、詩を筆頭にした
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