「解放」の淋しい心地良さ/岡部淳太郎
 
あるゆえに、自らすすんで何かに縛られに行くのも、また人の姿でもあるだろう。しかしながら僕が魅かれたのは解放された瞬間の淋しさと、同時に起こる心地良さの感覚であった。そのことをもう少し詳しく見ていこう。
 先ほども言ったように、人は常に何かに縛られて生きている。換言してしまうならば、自らを縛るその大元が人を規定しているのだ。仕事に縛られるならば仕事は人を労働者として規定するし、交際している異性に縛られるならば人は恋人として規定される。そのようにして人を縛るものは人を自らの性質によって規定しようとする性質を持つ。だが、疑問なのだが、その人そのままの状態で社会は人を見てはくれないものか。よく子供の頃に
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