西脇詩の音楽性/藤原 実
 
るわからないの間にあった、あるぼんやりした時間や空間」もコトバで埋めつくさずにはいられなくなったのか、詩にさようならを言って小説家になってしまった。

彼女ほどではないにしろ、とにかく何かモノを書こう書きたいなどと思っている人間は、普通のひとがしゃべるコトバとコトバのすきまをさらにコトバで埋めつくそうとしがちである。しかしそうすると、コップに水をあふれるほど満たすと指で弾いても音がしなくなるように詩の場合はその音楽性がギセイになっていることに気づかない。

コトバに対する態度を比べると、ヘタな例えになりますが、小説家が深海魚としたら詩人はトビウオのようなものなのか、と思うのです。


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