【批評ギルド】『明々後日が、誕生日の男』松崎貴子/Monk
 
メージは自分という枠を隔てて内部に展開されているもので、
その内部と外側を分け隔てるもの=自分なのですが、自分自身が「今、その境
目にいるな」と自覚することがあります。その境目のところに腰掛けて両方の
風景を眺めている感じです。主観と客観を同時に展開している感じ。なんつー
か、こういう作品のこういう文章はその境目に腰掛けて書かれてるように思い
ますな。ありていに書くと虚構と現実の融合であって、しかしどっちが現実で
どっちが嘘だと言うのかね、と開き直るスタンスでもあるのですが、この作品
を一番楽しめるのはどうも作者自身ではないかと思いますね。この作品のイ
メージが展開している瞬間に自
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