詩の日めくり 二〇一六年七月一日─三十一日/田中宏輔
くは、「わたくし」化させているような気がしています。
でも、これは、自我をどうとるかという点で
見方が異なるということなのだと思います。
ぼくは、すべての操作に自我が働くという立場ですから
そういうふうに捉えています。
「客観的」というのはあるとしても表現の外での話で
「他者」も表現の外でなら存在するかもしれないのですけれど。
どちらも、完全な「客観性」や「「他者性」を持ち得ないでしょうね。
ぼくは、そういう見方をしています。
「わたくし」について書かなくても「わたくし」になってしまう。
公的な部分というのは言語が持つ履歴のようなものだと考えています。
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