ぼくの脳髄はカンシャクのステップを踏む/藤原 実
 
          <絶対>の詩学〜『無門関』を読みながら


趙州和尚、因(ちな)みに僧問う『狗子(くす)に還って仏性有りや無しや』。州云く『無』。

          (『無門関』第一則【趙州狗子】)


しゃべるコトバがぜんぶ七五調になってしまうので困った、という歌人の告白を読んだことがあるが、ふれるものをなんでも黄金に変えてしまう王様の物語のようなものだろうか。ぼくはこのごろ読むものがなんでも詩論に思えてしまうクセがついてあさましい。

哲学書というと、なにかウワゴトのようなことが書き連ねられているアタマの痛くなる本と思っていて避けてきたが、
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