ぼくの脳髄はカンシャクのステップを踏む/藤原 実
が、西田幾太郎の『善の研究』をいままで読もうとしなかったのはウカツなことだった。
「もっとも有力なる実在は種々の矛盾をもっともよく調和統一したものである」
この高名な本はボクにとってほとんど詩論であった。西田哲学についてはこのごろ再評価するひとあり、逆に批判するひとありでにぎやかなことだが、難しい議論はテツガクのひとたちにまかせて、ぼくは勝手におもしろがるのだ。もっとも、詩は哲学ではない。宗教でもない。心理学でもない。それはわかっているが、詩を探さずにいられない。
西脇順三郎が「詩を哲学としてみるひとは四角のものを三角にみようとするひとだ」というような意味のこと
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