批評05/4/22/黒川排除 (oldsoup)
れを成そうとしている一群だと考える。おれはね。中には詩人と自称したくないひともいるようだし。詩人がそれを成そうとしている一群だとすれば、俗っぽすぎる固有名詞あるいは言い回しを使うことで他言語への翻訳可能性を消してしまうのは、読者の限定(読者は日本人対象)である。「じぶんが思い浮かべたものを100%言語に翻訳すること」と「読者を限定すること」は相反するということをいいたいわけ。作品中に別の言語を入れることもそうだけど(例えば作品中に英語を入れても、全文が英語に翻訳されることで効果が失われる)。で結局何が言いたいかというと、おれが俗語や英語をあまり用いたくないのにはそういった理由がありますよ、と。まぁ
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