ピクニックへの餞/道草次郎
ない程のポケットがくっついていて、そこには幸せな『六十二のソネット』や、清潔な帆船のような『物質的恍惚』、古代の石碑に似た『ウパニシャッド』が煌めいていたかも知れない。
だが、いつもどこかでぼくは自分を持て余していたのも本当で、いじいじと、「このこころはなんて狭い考えの檻にいる動物だろう」などと考えたりもしていたに違いない。
それでも、ぼくはひとしきりピクニックを愉しんだと思う。
精神のデルタ地帯には些かの余地がまだ認められたし、青葉という青葉が、依然として、太陽を背に逞しく茂っていた季節だったから。
チャコールグレーという語感、あと、ラピスラズリという質感、そういうものに
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