メモ11.24/道草次郎
 
もあかるい。神もあかるい。暗さは概念でもない。暗さは光の角度の脱臼だ。暗さは、それを願う者をして彼を覆うもの。ティーカップを置き、そこにうまれる影を見て暗いとは誰もいわない。その時、影は芳醇で控えめな伴侶でしかなくなる。


間違いをただして欲しい。それだけである。自分に、それをして欲しいのだ。そう、自分に間違いを。その者がみずから気付くまで、心ある人は待つだろう。その心ある人は伏し目がちに松林を歩き、糸杉のような美しい幾つかの詩篇すら手帖にしたためるかも知れない。けれども心ある人は、何もいわない。何も言わないでいるのが、批判の厳しい棘であることをよく知っているから。


心が安定し、
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