神聖なる合コンの話 (序 その一)/道草次郎
けれども、それではこの今の自分は何なんだと思ってしまう自分も必ずどこかにいる。少し奇妙と思われるかも知れないが、ぼくは毎日、「今」生まれたようなつもりでじつのところいるのだ。今までの自分というのは、これは記憶の中では確かにいたらしいけれど、その事と今の自分がどのような関係にあるかについては甚だよく分からないのだ。こういう感覚は、きっと多くの人に共有されるものだと信じている。なぜなら、こういう感覚が人間の多くに備わっていない限り、人間、延いては人間のつくるこの世の中というものは、たぶん今よりずっとつまらないものになるだろうから。
人間のすることにはもちろん一貫性があり、それは因果法則に基づい
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