11月1日所感(つれづれ)/道草次郎
ことだ。敢えて表向きと言ったのは、皆さんも知っておられる通り人のことを悪く言わないという事が徳性であるというのはただの幻想だろう。そして、その幻想に基づいて弱々しいプライドを形成し性善説の仮面を被っているのが自分だ。これは大変な罪悪であるように自分には時々思われるが、そこら辺はどうなのだろう、はっきり言ってよく分からない。こういう性分の得なところは、こういう性分を持つ者はしばしば同情を得られるという事だ。
さて、元をたどればそもそも自分で自分を画するというかこれしきの人間であると決めるということが、そもそもの根源にあるとさっき言った。では、なぜ決めてかかるのか。その答えは、それが楽だからだ。
[次のページ]
戻る 編 削 Point(0)