9月30日雑記/道草次郎
えを進める。
なぜこの耐える人は対象に絶望したのか。それはおそらくかつてはこの人も自分のつまらなさを社会(それを最小の構成単位である家族や友人としても差支えない)に言い放ったのであるが、それに斥けられた苦い経験を持つからだ。このことは裏を返せば、未だ自分のつまらなさを声高に宣っている者は、じつは社会をどこかで信じているということになる。それに、甘えているということになる。それは、こう言えるだろうか。社会に対し抱くイメージによってその者が言うか黙るかが決まる、と。つまりは、その者の内的な経験、常日頃の思考、もちろん生来の性質、そういったものの総合により、その者は、叫んだり黙ったり色々の行いとする
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