9月30日雑記/道草次郎
 
するということか。
 ところで、物事は予め決まっているのかどうなのか。端緒はどこにあるのか。それは、誕生にだろうか、それとももっと前にだろうか。或いは今を過ぎ去るこの瞬間の一つひとつが端緒なのか、どうなのか。
なぜこのような事を言うかというと、それが決定論と自由意志の問題と不可分だからだ。何者かが何者かである場合、常に何者かに先立つ前提条件がなければならない。当然のことだ。誰もが誰かの子供であるし、あらゆる行動はそれを取らせる因子から発する。その因子を何に定めるかは様々に考え方があるだろうが、とにかく、因子のあることに疑問を差し挟むことは出来ないように思われる。そもそも、何者かがそうあるの
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