ドジョウの話/道草次郎
 
たいだ。




詩は誰が書くのか。人間である。ぼくたち一人ひとりが生活の中でつかんだ一瞬の輝き、日頃から胸に想いためていた感性のひとまとまりを紙や電子媒体に刻みつける行為、それが詩作であるとする。

そしてそれを読むのもまた人間だ。インクのか細い線や画面上のドットが網膜をとおして視神経へと伝わり、奇跡的にも意味という果実を結ぶ、そのとき人ははじめて読むという行為に達するというわけだ。


詩はまさに人間と人間とに間に横たわる荒野を渡ってきて、それぞれの眼に出逢うのである。


ドジョウもまた、同じだった。
上流の何処からか泳いできたところを網で捕まえられ、バケツでしげ
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