ドジョウの話/道草次郎
しげしげと眺められたのち川へと返される。おじさんは言っていた。自分の所の孫も川へ戻したよと。
たしかに巧みな詩的表現には絶妙な効果があり、作品の質を上げより味わい深いものにする力がある事は認めるし、直感的に度肝を抜かれるほどの強烈なパワーを感じる作品があることも否定しない。
けれどもなお、ぼくが詩を読むさいにもっとも大切に思いたい事は、こちら側とむこう側をつなぐ橋に思いを致すこと、それだけである。
バケツの中のドジョウをじーっと見つめ続けた子供の頃の自分が、けっきょくはそれをもとの川に戻したように、詩もまた、世間という荒れ野に解き放ってやりたくなるのだ。
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