ドジョウの話/道草次郎
 
が、一つここはぼくの話に耳を傾けてくれている人の事を信じよう。
ぼくには、批判されることすら耐えられそうにない心のぐらぐらした日が時々あるので、まったく心配なのだ。そういう自分を恥じてもいるのだが。

詩には本当に色々な読み方があると思うというのは先程も言った通りだが、すでに書かれた詩は誰のものでもない、という仮説をここに立ててみる。

こういう事を言っている人は他にもいて、心強くもあるのだが、ぼくはそれをドジョウになぞらえようとしているだけかもしれない。





民事訴訟とか、刑事責任能力の有無とか、GDP成長率の下降修正とかそんな言葉で溢れる世間にぼくらは暮らしていて、
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