ドジョウの話/道草次郎
から「僕」と言われた当時のぼくは、奇妙な狼狽を感じ、このおじさんはもしかしたらオカマなのかもしれない、などと思ってしまったものだ。子供とは時に不可解かつ残酷な印象を大人に持つものである。
おじさんはしかし去り際にこう言った。「こないだ、おらちの子供もドジョウながしてたぞ」おじさんの話を黙ってきくばかりの、無口で人見知りの少年は、へぇ、ぐらいにしかその言葉の意味を考えなかった。
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詩の話である。詩はドジョウかもしれない、というヘンテコな話をすすめても構わないだろうか。
ぼくは持論などというものをこれまでに持ったことがないし、これからも持つことはないだろうが、
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