ドジョウの話/道草次郎
 
があった。その前日、捕まえてきたドジョウたちは誰のものか、それを一晩かけて思案したあげく幼いぼくが出した結論は、誰のものでもない、だった。

父は趣味で、金魚やデメキンやメダカやミドリガメ、それどころか、いつの間にか汚れた水槽のへりにごびり着くように棲息し始めたタニシさえも飼い育てていたのだが、ドジョウにかんしては普通の水槽で飼えないという制約でもあったのか、その処理についてはぼくに一任されてしまったのだ。

まあ、結論と言うと大げさで、子どもなりではあるが、さも立派な倫理に照らしてそれに至ったように聞こえるかもしれないが、そのじつは、ただ単に手に余ってしまい、もう面倒になっただけなのかも
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