侵食と同化/「某日」に寄せて/いとう
、方策であり、
同時に逃げ道でもある。そして、作品内における同化の描写で最も重要な要素は、
> ただの火か音に
> なりすましているかのよう
この一節の、「なりすましている」にある。
「なっている」のではなく「なりすましている」のだ。
「なりすます」ことは厳密に言えば「同化」ではない。
「同化」ではなく、「同化しようとする“作為”」だ。
我々はもちろん真に同化することなど不可能であり、
この「なりすましている」というフレーズには、
「同化しようとする行為」が持つ厳密な意味での不可能性を、
端的に(あるいは無意識的に)示していると考えるのは深読み過ぎるだろう
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