侵食と同化/「某日」に寄せて/いとう
生活していくことは、とてもタフな仕事で、
いろいろなものを犠牲にして、同時に犠牲となって、
それでもやっていかなくてはいけないことで。
「シジミ」では、
何かを犠牲にしなければ生きていけない事実と、
同時に自分自身も何らかの犠牲となっていることを自覚する苦しみ、
その両義性が夜の出来事に集約されている。
言わば加害者性と被害者性の共有が描かれているのだが、
「某日」ではこのうち後者の被害者性に意識が集中され、
加害者性はほぼ意識されていない。
ただしもちろんその点がこの作品を貶めるわけではなく、
(それを欠如と捉えて作品を貶める行為は読者の傲慢だと個人的に思う)
意識の
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