夢のなかに生きる/天才詩人
人はなかった。道はほとんど砂利道で、蛙や、陽炎や、みみずくが、雨上がりの草地を、湿潤させていた。政治家たちは、この土地に無関心だった。彼らはマルクス=レーニン主義闘争路線の継続がが頭打ちになったことの悔恨を忘れるために、「指導者」のポーズをとったロダンの彫刻を、自らの身体に規律+訓練することで、この国の出自を忘れようとした。「切腹」や『豊穣の海』に関するデッサンは、すべて破壊された。柳田國男にあこがれた僕は毎年、1986年の夏になると、上野駅から電気機関車に引かれた長距離列車に乗って、東北地方へ向かった。だがそこで僕が魅せられたのは、国鉄型最新鋭気動車のまばゆいばかりの赤色だった。そのため、僕は再
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