「オバマ・グーグル」山田亮太/モリマサ公
 
しなの電車の中になった

ちゃんとした感想を書こうと思っていたら
変などこかで読んだような文章になった
しかしどの芸術というかどの人間にも同質な部分はある
その一部が現出したにすぎないことを
わかってこの感想を有りな方向に

「オバマ・グーグル」
これを可能とするわたしたちは現在のあり方を問われている
てゆーか
「オバマ・グーグル」は冷静に絶対的他者として構成された詩群のようだった
そこに自分はなく他者だけを陶酔させ覚醒させコントロールする詩である
そこにあるのは書くがわの独裁的なコミュニケーションではない
どうよこの展開

そーだなつまりはこんなかんじ
オバマ・
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