疋田龍乃介詩集『歯車VS丙午』について/葉leaf
 
   (「犬がひげのがん」)

 詩というものは敗者の言説であった。廃墟のがれきの寄せ集めであった。詩人が詩行を思いつくとき、そこには世間に流布した勝者の歴史は余り混ざり込まない。むしろ、詩人は自らの些細な知識や感覚や体験という忘却されかけているものを掘り起こして詩行を紡ぎ出しているのである。だから、詩人の言葉は全く無力であり、いかに自らを解放させるために意志的に創造力を働かせると言っても、社会の中で何ら力を発揮することができない。それは詩人が支配的言説と直接衝突しようとして、あっけなく圧殺されてしまうことからよく分かる。
 詩人が真に自らの暴力を発揮させるためには、まず支配的言説に自らの言
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