疋田龍乃介詩集『歯車VS丙午』について/葉leaf
 
の言葉を受容させなければならない。そのためには、詩人はお笑い芸人のようにいったんウケを狙わなくてはならない。つまり、支配的言説が課してくる責任に対して一定の応答をしなければならない。そうしていったん権力の側に受容されたうえで、権力の側が言葉の新しい形態に気付くのを待つ、そして権力の側が自発的に詩人の言葉に耳を傾け、その可能性を認識するのを待つのである。
 疋田の詩は暴力的である。それは社会の支配的言説に異を唱え、自由な言語空間を開発するものである。だが、だからといって支配的言説と直接衝突して敢え無く撃沈するものではなく、むしろ支配的言説からの受容をもとりつけながら、その受容の先で支配的言説の側の
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