Miz 4/深水遊脚
を無駄に立ち向かわせてしまうような怪物が。
結局はどの場合も、正しさの認識の話になる。哲学は答えを出さない。私の知らないところで答えを出しているのかもしれないけれど、ある答えを疑わなくなったらそれは哲学ではない、何となくそう考えている。宗教は簡単に答えを出す。共有も有無を言わせない。たいてい疑いは罪となる。個々の信者の考え方や果たす義務が信じられないほど軽率としか私には思えなくて、行動の結果が重大だった、そんなカルトもあった。一方でほとんど村の寄り合いと変わらない伝統的な宗教結社もあった。宗教的な実践が日々の生活に結び付いていて、生活が先か宗教が先かわからない感じだった。カルトとは全然違う
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