主体と他者  mixi日記より 2010年12月/前田ふむふむ
 
からでもある。
であるから
そのような自己批判的な判断は、自らの所属の他者への違反であり、この奇怪な日本的「外部」の放棄であり、自らの存在場所を失うのである。
こういう命題に対して、どのような批判が可能だろうか。
「僕は、世界平和を希求するし、平和主義者の日本国民として、武力によって
他国に迷惑をかけることには断固反対する」
僕らは、平和主義という他者に寄り添っているから、これを批判する修辞を持たないのである。
そういう生理のうちにある僕らが、
突然、国家危急な出来事が現れて、自らの存在の危機に直面すると、
戦前と同じように、他者の所属を変えて、一億交戦主義者に変
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