小説における文体の問題/yamadahifumi
 
正当なやり方であるように僕には思える。


 もう一つ上げるなら、ミシェル・ウェルベックの『素粒子』だろうか。ウェルベックは別に文体に対して深く考えるタイプではないと思うし、基本的には率直に書いている。しかし、ウェルベックの書いているものは、ビネほどではないが、やはり、作者が全面に出過ぎている。彼は単に登場人物達のドラマをそのまま書いたりはしない。彼は事あるごとに作品の中に顔を突っ込み、そして登場人物の言動を彼なりに意味づけてみせる。…ここでも問題になっている事は、ウェルベックが単に、物語や登場人物の動作を書くだけでは、足りないと考えている事だ。単なる『小説』では物足りない。そう思うからこそ
[次のページ]
戻る   Point(3)