人間の本質を露呈させるものとしての文学/yamadahifumi
 
う事もできる。この時、漱石は単に、面白い話を書こうとしたのでもなければ、作家としての技量が優れていたのでもない。(優れてはいただろうが。)問題はそういう事ではなく、漱石とか、ドストエフスキーの作品の裏には、彼らの、社会や自分自身に対する徹底的な哲学的、あるいは社会的な認識があったという事だ。それが脈々と流れていたという事だ。今、小説を書く人間が他人の小説しか読んでいないとしたら、僕にはそれは滑稽な事に思える。一人の人間の真理の中にはあらゆるものが含まれている。そしてこの真理を探し出すには、その人間の生活の運動だけでは足りない。その時代の傾向、経済、歴史、物理、数学など、そういった様々なものに頼らな
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