人間の本質を露呈させるものとしての文学/yamadahifumi
 
は常に少数派だ。


 小説というのはだから、人間というのを、悲劇という名の遠心分離器にかけて、そしてその人間の本質、実存を露出させる技とも言える。通常、小説を書こうとする人間は、プロットの作り方とか登場人物の描き方などを考えるだろうが、実は、重要なのはそこではない。まず、作家は人間にたいするある種の観念、ある種の哲学的本質、真理、そのようなものを持っていなければならない。夏目漱石の『それから』で、代助が親友の妻と不倫し、そして社会から捨てられるのは、それがこの日本において、旧来の道徳を打ち破り、新しい人間となろうとする事がどうしても悲劇ならざるを得ない、その事を描こうとしたからだ、と言う事
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