ミシェルウェルベック『素粒子』書評/yamadahifumi
 
く、僕達はただもう、自分達を幸福にしてくれる誰かを探し求めている。そしてその幸福というのは、結局、金とか性とか、その程度の観念しかないのだ。僕達は昔に宗教を捨て去ったが、今僕たちにやってきた資本主義=唯物論の流れは、過去の宗教よりも優れていると本当に言う事はできるのだろうか。…そういう事はこれから、それぞれの人生を通じて僕達が試されるのだろう。おそらくは僕達の悲惨と滑稽を通じて。

 
 ミシェルとアナベルは、別れの後に、また再びーーー中年になって出会う事になる。(最初の出会いはまだ若い、学生時。)だが、その出会いも幸福で満ちたりたものとは言いがたい。ここでのウェルベックの描写法も、僕達を物
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