ソクラテスのアイロニー/ハァモニィベル
の規模の隕石は、悲しいかないつ会社をクビになるかわからないのに似て、いつ落ちてくるのかわからないという。数百年に一度らしいが、小さくて地球からは接近が見えないのだ。そして見えた時はもう遅い。
隕石ならぬ漱石が倫敦から日本へ戻ったのは明治36年(1903年)のこと。帝大のほかに一高でも教鞭を執ったが、生徒の中にあの藤村操がいた。授業中に強く叱責した数日後、このエリート一高生は遺書『巌頭之感』を立木に刻んで、不可解にも、華厳の滝に身を投げた。動機は2つの失恋だったのかも知れなかったし、本当の所はわからない。
しかし、皮肉なタイミングが漱石に衝撃を与える。翌月から極度にノイローゼを悪化させ、
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