詩を救うための音楽??榎本櫻湖『増殖する眼球にまたがって』/葉leaf
妄りにマリオネットの膨らんだ恥丘に貼りつけること、その二つは果たして銀鍍金を施されて今にも破裂しそうなほどです」などの詩句が展開される。これは「音楽として」読まれるべきであり、要するに、通常の線条的なメッセージ的言明を超えたような意味の戯れを「聴く」必要があるのだ。
さて、このようにして、榎本の詩は決して感覚的に快いものではない。ノイズを作り出す「奏法」からも分かるように、既存の感覚的に快い形式では表現できないものを表現しようとしていることが分かる。だが、再度言うように、作品とは感覚だけで判断されるべきものではない。そのコンセプチュアルな意味合いであるとか、その置かれた文脈との関わり合いである
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