詩を救うための音楽??榎本櫻湖『増殖する眼球にまたがって』/葉leaf
ある。「蠢動」とは何の蠢動であるのか。「顫動」とは何の顫動であるのか。それが分からないので、その「さなか」が何を指すのか分からない。このように榎本の詩にはあるべきところにあるべきものが明確に欠けている。反対に、「滴る蜜月」に関して言うならば、期間を表す「蜜月」が「滴る」運動をすることにされており、異なるカテゴリーが無理やり連結させられた時の衝突が鮮やかに見て取れる。つまり、榎本の詩には、あるべきものが欠けたり、異なる論理的範疇にあるもの同士が無理に衝突させられたりしていて、通常の言葉のもたらす意味とは何か異質な新しい意味が生み出されていると言わざるを得ない。
もう少し丁寧に引用部を読んでいこう
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